せおぶんぐ

文具と雑貨と花と本。

新工芸展(店)パンフレットが届きました



1人のデザイナーが1万人に対して物を作るのと、100人の工芸家が100人に対して物を作るのとどちらが“良い”と言えるでしょうか。

品質や効率を第一に考えれば圧倒的に前者でしょう。しかし例えば、アイデアを考え、手を動かし、形を与える行為自体に価値があるとすれば、後者の方がその機会の総量は多くなります。

 

新工芸展(店)パンフレットの1ページ目、ごあいさつの文章です。

 

何の疑問も持たず、大量生産の現代社会に慣らされきっていた私にとって、はっとする文章でした。

 

 

元々はこちらのnoteを見て、3Dプリンターを使った製品にこんな潮流があるのか!と思ったのが新工芸展(店)に興味を持ったきっかけでした。

 

note.com

 

 

tilde(チルダ)シリーズは樹脂を編み重ねることで独特の模様を生み出している製品群。

3Dプリンターの弱点である積層造形の痕を、模様にしてしまうことでカバーするという発想は、まさにデザインという言葉の意味するものだと思います。握りやすさにも転じている部分がなおカッコイイ。

 

 

newcraftshop.com

 

 

パンフレットでは、「新工芸」と名付けられたことの意味付けや考え方、まだまだ発展途上中であることなどが丁寧に綴られていました。

 

量産技術の発展の末に高度に分業化が進んだ結果、僕らは自分で使う道具さえ満足に自分で作ることができなくなってしまった。

 

私は割と分業化には好意的な意識を持っています。「みんなで協力してモノをつくる」ということが素晴らしいと思っているからです。

それが今回、パンフレットを読むことで「自分だけで完結するモノづくりの素晴らしさ」にも目を向けるきっかけになりました。

確かに職人や作家・一点ものに対する尊敬やあこがれって、もとをただすとその「小さな完結」から来ているじゃないか!という気づきを得ました。

 

そして3Dプリンターが、大量生産・グローバリゼーションから、再び個人の手に「モノをつくる」ことを取り戻すツールとなった、と。

これは新しい工芸=新工芸だ、と。

そういう流れの中で、新工芸という呼び名がついたそうです。

3Dプリンターが民藝と結びつく流れを発見したこと、素直にすごい。

 

 

新工芸とは、一人間としての主体を失わず、分野を横断した総合的手段を使って表現または問題を解決しようとする態度のことであり、単なる方法論とも違う。

 

「表現」だけにとどまらず、「問題を解決しようとする態度」とあるのがとても胸が躍ります。それこそつまりデザインの意味するものじゃないか!

それと同時にパソコンや3Dプリンターを使って「表現」することにもまた重きを置かれているのがいい。デジタルでも表現ができるということ、まだまだ気づいていない人はたくさんいます。

 

私たちが人間である以上、行動の節々に“思い”が乗ります。つきつめていけば「楽しい・嬉しい」といった単純な感情であるそれらこそ、実はものすごい価値が隠れているのではないか。新工芸展(店)のパンフレットはそう思わせてくれました。

 

 

 

 

ところでこの青から緑へのグラデーションが美しすぎる。このグラデーションのtildeボールペン発売されたら買います。

 

 

 

 

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